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松永久秀(まつながひさひで)

戦国大名[日本]

(天正5年10月10日没)

(ユリウス暦) 1577年 11月19日 死去爆死享年68歳

松永久秀 - ウィキペディアより引用

松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の武将。
大和国の戦国大名。
官位を合わせた松永弾正(まつなが だんじょう)の名で知られる。
弟に長頼、嫡男に久通、養子に永種(貞徳の父)。
初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好政権内で実力をつけ、室町幕府との折衝などで活躍した。
久秀は長慶の配下であると同時に交渉の一環として室町幕府第13代将軍・足利義輝の傍で活動することも多く、その立場は非常に複雑なものであった。
また、長慶の長男・三好義興と共に政治活動に従事し、同時に官位を授けられるなど主君の嫡男と同格の扱いを受けるほどの地位を得ていた。
長慶の死後は三好三人衆と時には協力し時には争うなど離合集散を繰り返し、畿内の混乱する情勢の中心人物の一人となった。
織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、一度は降伏してその家臣となる。
その後、信長に反逆して敗れ、信貴山城で切腹もしくは焼死により自害した。
茶人として高名であり、茶道具と共に爆死するなどの創作も知られている。
生涯 出自と登場 永正7年(1510年)生まれとされるが、前半生には不明な点が多く確証はない。

まつながひさひで [生]永正7(1510)[没]天正5(1577).10.10.大和戦国~安土桃山時代の武将。初め三好長慶に仕え,弾正忠に任じ堺代官となった。永禄2(1559)年奈良に入部して多聞城,信貴山城などを築き,山城の国人を追い,三好氏の家老となるに及んで勢力を伸張し,三好義継に足利義輝を殺害させ,畿内に実権をふるった。同10年三好三人衆と戦い東大寺大仏殿を焼き,同11年織田信長が入京してくると,これに従い,大和信貴山を安堵された。その後信長の天下統一を志向する政策に対し,足利義昭をはさんで表裏のある行動を重ねたため,天正5(77)年信長の攻撃にあって信貴山城で自殺した。 (引用元 コトバンク)