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日蓮(にちれん)

、法華諸宗宗祖[日本]

(弘安5年10月13日入滅)

(ユリウス暦) 1282年 11月21日 死去享年61歳

日蓮 - ウィキペディアより引用

日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日 - 弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉時代の仏教の僧。
鎌倉仏教の十三宗のひとつ日蓮宗 (法華宗) の宗祖。
滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。
生涯 1222年(貞応元年)2月16日 (旧暦)(3月30日/4月6日)安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の小湊で誕生。
幼名は「善日麿」であったと伝えられている。
父は三国大夫(貫名次郎(現静岡県袋井市貫名一族出自)重忠)、母は梅菊とされている。
日蓮は『本尊問答抄』で「海人が子なり」、『佐渡御勘気抄』に「海辺の施陀羅が子なり」、『善無畏三蔵抄』に「片海の石中の賎民が子なり」、『種種御振舞御書』に「日蓮貧道の身と生まれて」等と述べている。
1233年(天福元年)清澄寺の道善房に入門。
1238年(暦仁元年)出家し「是生房蓮長」の名を与えられた(是聖房とも)。
1245年(寛元3年)比叡山・定光院に住し、俊範法印に就学した。
1246年(寛元4年)三井寺へ遊学。

にちれん [生]承久4(1222).2.16.安房[没]弘安5(1282).10.13.武蔵日蓮宗の開祖。勅諡は立正大師。16歳で出家,伝統的仏教の教理に疑問をいだき,鎌倉,京畿,比叡山などで諸教学を学んだ。その後,故郷に帰って『法華経』を通じ真の仏教を知りうるという確信に基づいて,初めて「南無妙法蓮華経」という題目を称え(1253),日蓮と称した。浄土教,禅などの教理を激しく批判したため,種々の迫害を受けた。また,『立正安国論』を書き北条時頼に送ったが無視された。のち鎌倉で人々に迫害され,捕われて伊豆の伊東に流され(61),やがて許された(63)。その後,いわゆる小松原の法難(64),竜口の法難(71)などにあい,佐渡に流され,文永11(74)年に許されて鎌倉に帰った。やがて身延山に隠棲したが,絶えず布教に努めた。弟子には六老僧など重要な人物が多い。主著はほかに『守護国家論』『観心本尊鈔』『撰時鈔』『開目鈔』。 (引用元 コトバンク)