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親鸞(しんらん)

、浄土真宗開祖[日本]

(弘長2年11月28日入滅)

(ユリウス暦) 1263年 1月9日 死去享年90歳

親鸞 - ウィキペディアより引用

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。
浄土真宗の宗祖とされる。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。
自らが開宗する意志は無かったと考えられる。
独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形をとる。
親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。
浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。
生涯 親鸞は、自伝的な記述をした著書が少ない、もしくは現存しないため、その生涯については不明確な事柄が多く、研究中であり諸説ある。
また本節の記述は、内容の一部が史実と合致しない記述がある書物(『日野一流系図』、『親鸞聖人御因縁』など)や、弟子が記した書物(『御伝鈔』など)によるところが多い。

しんらん [生]承安3(1173).京都[没]弘長2(1262).11.28.京都鎌倉時代の僧。浄土真宗の開祖。幼時に母を失い,9歳で出家。養和1(1181)年青蓮院の慈円について得度したと伝える。比叡山で20年間学び修行したが,安心が得られず,建仁1(1201)年京都の六角堂に100ヵ日の参籠に入り,それが機縁となって吉水の法然の門弟となり,ここで浄土教の教えを受けた。建永2(07)年旧仏教の讒訴によって法然は土佐に,親鸞は越後に流された。のち,越後で豪族の娘恵信尼と結婚したようである。勅赦ののち,法然の死を知って京都に戻らず,常陸地方の教化を志し,関東で『教行信証』(6巻)を一応脱稿。貞永1(32)年頃京都に戻った。『三帖和讃』『唯信鈔文意』などを著わす。90歳で寂。末娘覚信尼が親鸞の廟を建てた。のち大谷の姓を授かる。『歎異鈔(たんにしょう)』は晩年の言行を弟子,唯円(ゆいえん)らが記したものであろう。 (引用元 コトバンク)