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最澄(さいちょう)

、天台宗開祖[日本]

( 弘仁13年6月4日入滅)

(ユリウス暦) 0822年 6月26日 死去享年56歳

最澄 - ウィキペディアより引用

最澄(さいちょう)は、平安時代の僧。
日本の天台宗の開祖である。
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。
先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。
中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。
生涯 なお、年齢は神護景雲元年出生説に基づく。
778年(宝亀9年)、12歳のとき近江国分寺に入り、出家して行表の弟子となる。
780年、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し名を最澄と改めた。
783年(延暦2年)、17歳のとき1月20日に正式な僧侶の証明である度縁の交付を受ける。
785年、19歳のとき東大寺で具足戒を受ける。
同年7月、比叡山に登り山林修行に入り、大蔵経を読破。
788年、薬師如来を本尊とする草庵、一乗止観院を建立する。
797年、桓武天皇の内供奉十禅師。
801年、比叡山一乗止観院にて法華十講奉修。

さいちょう [生]神護景雲1(767).8.18.近江,古市[没]弘仁13(822).6.4.比叡山日本天台宗の開祖。三津首百枝(みつのおびとももえ)の子。幼名は広野。12歳で出家,14歳で得度,法名を最澄とした。19歳のとき比叡山に登り,草庵を構え思索の生活に入る。延暦21(802)年,桓武天皇から入唐の勅命を受け,同23年入唐,天台山で行満から天台の教えを受け,また禅法,大乗菩薩の戒法,密教を学び同24年帰国。密教を伝えるために高雄山寺に灌頂壇を設け,翌年天台宗としての年分度者を許された。弘仁10(819)年比叡山に大乗戒壇建立を奏上したが,南都六宗の反対で許されず,同13年寂。死後7日目に建立の勅許を得た。貞観8(866)年伝教大師の諡号を贈られた。日本最初の大師号である。主著『守護国界章』(818),『山家学生式』(818~819)。 (引用元 コトバンク)

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