芸能人・経営者のおくやみ情報

豊臣秀頼(とよとみひでより)

戦国大名[日本]

(慶長20年5月8日没)

1615年 6月4日 死去自刃享年23歳

豊臣秀頼 - ウィキペディアより引用
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより/とよとみ の ひでより、旧字体: 豐臣秀賴、文禄2年8月3日(1593年8月29日) - 慶長20年5月8日(1615年6月4日))は、日本の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。
天下人。
豊臣秀吉の三男。
秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子。
子は側室・和期の方(名は伊茶。
渡辺氏)との間に国松と、小石の方(おいわのかた。
成田氏)との間に天秀尼(彼女の生母については異説がある)。
位階は正二位、官職は右大臣。
幼名は拾丸(ひろいまる)。
なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である。
乳母は宮内卿局・右京大夫局(一説に両者は同一人物とも)・正栄尼が伝わる。
また、淀殿の乳母である大蔵卿局も養育係を務めた。
生涯 誕生から秀吉の死まで 文禄2年(1593年)、秀吉57歳の時の子で、大坂城で誕生した。
誕生した時にはすでに、従兄の秀次が秀吉の養嗣子として関白を譲られ、秀吉の後継者となっていた。
秀吉は、当初は秀次と秀頼の関係を調整するため、秀頼誕生の2ヶ月後の10月には、秀頼と秀次の娘(槿姫とも呼ばれるが不詳)を婚約させ、秀吉から秀次、秀頼へという政権継承を模索したが、秀吉は、文禄4年(1595年)7月には秀次の関白職を奪い、ついで自刃させた。