勝海舟(かつかいしゅう)
幕臣、政治家、伯爵[日本]
1899年 1月21日 死去脳溢血享年77歳
勝 海舟(かつ かいしゅう、文政6年1月30日〈1823年3月12日〉- 明治32年〈1899年〉1月19日)は、日本の武士(幕臣)、政治家。
位階は正二位、勲等は勲一等、爵位は伯爵。
初代海軍卿。
江戸幕府幕府陸軍最後の陸軍総裁。
山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる。
江戸本所(現在の東京都墨田区)出身。
略歴=
幼名および通称は麟太郎(りんたろう)。
諱は義邦(よしくに)。
明治維新後は安芳(やすよし)と改名。
これは幕末に武家官位である「安房守(あわのかみ)」を名乗ったことから勝 安房(かつ あわ)として知られていたため、維新後は「安房」を避けて同音(あん−ほう)の「安芳」に代えたもの。
海舟は号で、佐久間象山直筆の書「海舟書屋」からとったものだが、「海舟」という号は本来誰のものであったかは分からないという。
氏族としては物部氏を称し、氏姓+諱の組み合わせで物部義邦、物部安芳という署名や蔵書印も残している。
曽祖父は視覚障害を持ち新潟の農民に生まれ、江戸に出て米山検校となる。
祖父はその九男男谷平蔵。
父は男谷平蔵の三男、旗本小普請組(41石)の勝小吉、母は勝元良(甚三郎)の娘信。
幕末の剣客・男谷信友(精一郎)は血縁上は又従兄で、信友が海舟の伯父に当たる男谷思孝(彦四郎)の婿養子に入ったことから系図上は従兄に当たる。
家紋は丸に剣花菱。
10代のころから島田虎之助に入門し剣術・禅を学び直 ……
勝海舟が亡くなってから、125年と309日が経過しました。(45965日)