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平櫛田中 氏(ひらくしでんちゅう)

彫刻家[日本]

1979年 12月30日 死去享年108歳

平櫛田中 - ウィキペディアより引用

平櫛 田中(ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう、1872年2月23日(明治5年1月15日) - 1979年(昭和54年)12月30日)は、日本の彫刻家。
本名は平櫛倬太郎。
旧姓は田中。
井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。
岡山県後月郡(現・井原市)の田中家に生まれる。
1882年(明治15年)に広島県沼隈郡今津村(現・福山市今津町)の平櫛家の養子になったが、大阪時代までは旧姓を通称に用いていた。
1893年(明治26年)に、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし木彫の修行を行う。
1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員となった。
1944年(昭和19年)7月1日帝室技芸員。
同年、東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授に招聘され、第二次世界大戦後も教壇に立つ。
明治末期から大正初期にかけて、東京藝大の基礎となる東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した。
東京藝大構内の六角堂に田中作になる「岡倉天心像」が安置されており、天心を敬愛していた田中は藝大勤務時代には登校のたびに、この自作の像に最敬礼していた。

(1872-1979) 彫刻家。 岡山県で生まれた平櫛田中は、岡倉天心の薫陶を受け、彫刻家の道に。 明治末期の1900年代から木彫りを始め、精神性の高い作品を発表。力強く骨格のある作風で知られていた。 特に代表的な「鏡獅子」は、6代目・尾上菊五郎をモチーフに1938年にその下地を作成。1958年に完成させた。100歳になっても創作意欲を見せた田中は、1979年に亡くなった。 (引用元 Hatena Keyword)