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葦原邦子 氏(あしはらくにこ)

女優[日本]

1997年 3月13日 死去胃がん享年86歳

葦原邦子 - ウィキペディアより引用

葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月16日 - 1997年〈平成9年〉3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。
元宝塚歌劇団星組トップスター。
本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。
夫に画家の中原淳一、長男に画家の中原洲一、孫に声優・俳優の加古臨王がいる。
来歴・人物= 尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)卒業後、1928年に宝塚音楽学校に入学する。
翌1929年、「春のをどり」で初舞台。
宝塚歌劇団18期生で宝塚歌劇団のトップスターとして活躍し、同期生に春日野八千代、冨士野高嶺らがいた。
宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野と共に男役として人気を争い、宝塚歌劇団を背負って立っていった。
また、小夜とともに宝塚男役の頭髪のショートカット(の慣例化)の先駆けだった。
1934年、東京宝塚劇場開場に際しての杮落とし公演は主演の「花詩集」であった。
現在の男役のモチーフや基礎的なスタイル完成には葦原の貢献が大きい。
「男装の麗人」として長くトップの座を保ったが結婚のため退団・引退、夫である中原との間に2男2女の子がいる。
戦後は活動を再開し、帝劇オペラやミュージカルからストレートプレイまで幅広く活躍した。
また、ホームドラマでの温かみのある母親役や祖母役で人気を得た。
後年は「咲子さんちょっと」での姑役・「ケ ……

葦原邦子さんが亡くなってから、27年と257日が経ちました。(10119日)