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小早川秀秋(こばやかわひであき)

戦国大名[日本]

(慶長7年10月18日没)

1602年 12月1日 死去享年21歳

小早川秀秋 - ウィキペディアより引用
小早川 秀秋(こばやかわ ひであき)は、安土桃山時代の大名。
丹波亀山城主、筑前名島城主を経て備前岡山藩主。
名は関ヶ原の戦いの後に秀詮(ひであき)と改名した。
豊臣秀吉の正室・高台院の甥。
秀吉の親族として豊臣家では重きをなしたが、小早川隆景と養子縁組した後には、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った。
生涯 豊臣家の公達 天正10年(1582年)、木下家定(高台院の兄)の五男として近江国の長浜に生まれる。
母は杉原家次の娘。
幼名は辰之助。
天正13年(1585年)に義理の叔父である羽柴秀吉の養子になり、幼少より高台院に育てられた。
元服して木下秀俊、のちに羽柴秀俊(豊臣秀俊)と名乗った。
天正16年(1588年)4月、後陽成天皇の聚楽第行幸では内大臣・織田信雄以下6大名が連署した起請文の宛所が金吾殿(秀俊)とされた。
またこの際、秀吉の代理で天皇への誓いを受け取っている。
天正17年(1589年)、豊臣秀勝の領地であった丹波亀山城10万石を与えられた。
天正19年(1591年)、豊臣姓が確認され、文禄元年(1592年)には従三位・権中納言兼左衛門督に叙任し、「丹波中納言」と呼ばれた。