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ウィリアム4世William IV

イギリス国王[イギリス]

1837年 6月20日 死去肝硬変享年73歳

ウィリアム4世 - ウィキペディアより引用

『ウィリアム4世 (イギリス王)』より : ウィリアム4世(William IV, ウィリアム・ヘンリー(William Henry)、1765年8月21日 - 1837年6月20日)は、イギリス、ハノーヴァー朝の国王及びハノーファー王国の国王(ドイツ名:ヴィルヘルム Wilhelm, 在位:1830年6月26日 - 1837年6月20日)である。
ジョージ3世と王妃シャーロットの第3子で、先王ジョージ4世の弟である。
生涯 青年時代海軍に勤務していたため、後に「船乗り王」(Sailor King) の愛称で親しまれた。
13歳の時士官候補生として海軍に入隊し、1780年のサン・ビセンテ岬の月光の海戦に参加した。
アメリカ独立戦争の時はニューヨークで勤務しており、イギリス歴代君主の中でアメリカ合衆国を訪問した経験のある最初の人物となった。
ウィリアムは1785年に士官となり、翌年に軍艦「ペガサス」の艦長になった。
1786年中頃には、ニューファンドランドとハリファックス(ノヴァスコシア)に差し向けられ、カナダの土を踏んだことのある最初の君主にもなった。

ウィリアムよんせいWilliamIV,DukeofClarence [生]1765.8.21.ロンドン[没]1837.6.20.バークシャー,ウィンザーハノーバー朝第5代のイギリス王(在位1830~37)。ジョージ3世の3男として生れ,1789年クラレンス公となる。79年以来海軍に勤務,99年海軍大将,1811年同元帥,27年海相。以上の経歴から"SailorKing"と呼ばれた。30年長兄ジョージ4世の死により即位。32年の第1次選挙法改正法案成立に際し,同法案に反対する上院(貴族院)の多数派を屈服させるため,必要な人数の新貴族の叙位をC.グレー内閣から要請されたが,これを拒否。しかしウェリントン(公)が組閣に失敗すると,これに同意し,法案成立の決定的要因をつくった。1791年頃より女優D.ジョーダンと同棲し,10人の子をもうけたが,1818年ザクセンのマイニンゲン公女アデレードと結婚。しかし2人の王女はいずれも若死にしたため,王の死後は姪のビクトリアが王位を継承した。 (引用元 コトバンク)

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