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上杉謙信(うえすぎけんしん)

戦国大名[日本]

(天正6年3月13日没)

(ユリウス暦) 1578年 4月19日 死去享年49歳

上杉謙信 - ウィキペディアより引用

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。
後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。
上杉家の下で越後国の守護代を務めた長尾氏出身で、初名の長尾 景虎(ながお かげとら)でもよく知られている。
兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。
のちに関東管領上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られるとともに「政」の1字を与えられて上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、それまで上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領をも引き継いだ。
後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。
謙信は、さらに後に称した法号である。
内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させた。
他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、49年の生涯の中で武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。

うえすぎけんしん [生]享禄3(1530).1.21.高田[没]天正6(1578).3.13.高田戦国大名の雄。越後守護代長尾為景の次男。母は越後栖吉城主長尾顕吉の娘。幼名は虎千代,元服して長尾平三景虎。のち政虎,輝虎と改め,入道して謙信,不識庵と号した。兄晴景は天文5(1536)年家督を継いだが次第に対立。同17年越後守護上杉定実の仲裁を得て晴景から家督を奪い,春日山城主となる。以後国内の統一に努力しつつ,周囲の諸大名と大規模な戦闘を展開した。武田信玄と信濃の覇権をめぐって数度合戦。特に永禄4(61)年の川中島の戦いは有名である。一方,関東管領上杉憲政を擁して北条氏康と対立,同3年には関東に侵入し,小田原城を包囲して北条氏を脅かしたが成功せず帰還。憲政から上杉姓を与えられ,同4年関東管領。しかしその後関東経略は進まず,同9年以後は越中を平定し,加賀,能登に進出。毛利氏と連合して織田信長と対決しようとしたが,出陣の矢先に脳卒中で没した。 (引用元 コトバンク)