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徳川宗春(とくがわむねはる)

尾張藩主[日本]

(明和元年10月8日没)

1764年 11月1日 死去享年69歳

徳川宗春 - ウィキペディアより引用

徳川 宗春(とくがわ むねはる)は、江戸時代中期の大名。
尾張徳川家第7代当主・第7代尾張藩主。
尾張藩主前は御連枝である大久保松平家当主(陸奥梁川藩主)。
尾張藩主就任時に規制緩和政策をとった宗春は、質素倹約策の8代将軍徳川吉宗とよく対比されるが、幕府が元文の改鋳で金融緩和をした際には、尾張藩では引き締め政策を行っており、単純な規制緩和ではなかった。
歴代藩主と同様、尾張藩主就任後に吉宗から「宗」の偏諱を授かって「宗春」と改名した(後述)。
改名前の諱は兄徳川吉通の「通」の字を得て通春。
生涯 出生 元禄9年10月28日(1696年11月22日)、尾張藩第3代藩主徳川綱誠の二十男として名古屋で生まれ、萬五郎と名付けられる。
母は側室の梅津(宣揚院、遠州掛川横須賀浪人三浦太次兵衛嘉重の長女)。
元禄11年(1698年)に祖母の千代姫、翌元禄12年(1699年)に父の綱誠、元禄13年(1700年)に祖父の徳川光友が相次いで没した。

元禄9年10月28日(1696年11月22日)〜明和元年10月8日(1764年11月1日) 日本の江戸時代中期の大名。徳川綱誠の十九男。 尾張藩の御連枝支藩である陸奥梁川藩藩主を経て尾張藩第七代藩主となった。規制緩和政策の藩政を行い、質素倹約策の八代将軍の徳川吉宗と比較された。最後は吉宗と対立し、藩の財政悪化と藩政の混乱を理由に謹慎させられた。 (引用元 Hatena Keyword)