三船久蔵(みふねきゅうぞう)
柔道家[日本]
1965年 1月27日 死去享年83歳
三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年〈明治16年〉4月21日 - 1965年〈昭和40年〉1月27日)は、日本の柔道家。
段位は講道館柔道十段。
大日本武徳会柔道範士。
身長159 cm、体重55 kg。
小柄な体型ながら空気投げなどの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ名人の称を受ける。
「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから柔道の神様とあがめられた。
出身地の岩手県久慈市に三船十段記念館が建てられた。
経歴=
三船久蔵(左)と嘉納治五郎(右)
久慈武徳殿落成にあたり郷里に帰郷した際に撮影(1931年)
郷里久慈町(のちの久慈市)における模範乱取り(三船久蔵(左)と郷里の柔道家晴山福一郎 (右)1952年)
郷里久慈市における演武(1950年代後半)
1883年(明治16年)岩手県九戸郡久慈町(のちの久慈市)に生まれる。
久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。
呆れた父は一関中学(のちの岩手県立一関第一高等学校)から遠く離れた仙台二中(のちの宮城県仙台第二高等学校)に進ませた。
そこで柔道に出会った三船は詳しく学ぶため(旧制)第二高等学校(のちの東北大学)に通い詰めて師範の大和田義一に熱心に教えを受け、後に仙台二中に柔道部をつくった。
仙台には三船と互角に戦える相手がいなかったため、1903年(明治36年)に上京して講道館に入門。
横山作次郎の弟子と ……
三船久蔵が亡くなってから、59年と302日が経過しました。(21852日)