力道山(りきどうざん)
プロレスラー、元相撲力士[朝鮮]
1963年 12月15日 死去刺傷が原因による化膿性腹膜炎享年40歳
力道山(りきどうざん、本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、出生名:金 信洛(きん しんらく、朝: 김신락)、1924年〈大正13年〉11月14日 - 1963年〈昭和38年〉12月15日)は、日本の男性プロレスラー、力士。
血液型AB型。
日本統治下の朝鮮の咸鏡南道洪原郡出身。
生涯=
生い立ち=
日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現在の北朝鮮統治範囲)で朝鮮人の両親のもとに生まれた。
生年月日は1924年11月14日とされるが、この時代の朝鮮半島では出生から時間をおいて役所へ届け出ることが珍しくなく、実際には1年から2年早く生まれていた可能性もある。
もとはシルムの選手であったという。
力士時代=
力道山 光浩
力士時代の力道山基礎情報四股名
力道山 光浩本名
金 信洛(김신락)生年月日
1924年11月14日没年月日
(1963-12-15) 1963年12月15日(39歳没)出身
日本統治下朝鮮咸鏡南道洪原郡新豊里(龍源村)身長
176 cm体重
116 kgBMI
37.45所属部屋
二所ノ関部屋得意技
突っ張り右四つ吊り上手投げ成績現在の番付
廃業最高位
西関脇生涯戦歴
135勝82敗15休(23場所)幕内戦歴
75勝54敗15休(11場所)賞
殊勲賞1回データ初土俵
1940年5月場所入幕
1946年11月場所引退
1950年9月場所前引退後
プロレスラーに転向備考
金星2個(東富士1個、照國1個)2013年2月17日現在
■テンプレート ■プロジェクト 相撲
二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946年11月場所に入幕し、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚 ……
力道山が亡くなってから、60年と344日が経過しました。(22259日)