芸能人・経営者のおくやみ情報

ウ・タント 氏U Thant

政治家、第3代国連事務総長[ビルマ]

1974年 11月25日 死去享年66歳

ウ・タント - ウィキペディアより引用

ウ・タント(U Thant、1909年1月22日 - 1974年11月25日)は、第3代国際連合事務総長(任期1961年 - 1971年)、教育者。
アジア人初の国連事務総長。
よりビルマ語発音に近い表記ではウー・タンとなる。
ビルマ人は一般的に姓を持たない。
ウーは男性敬称であり、ウー・ヌやウー・ソオらも同様である。
生い立ちと教育 ウ・タントはイギリス領インド帝国ビルマ(現・ミャンマー) のパンタナウで中国系、インド系、イスラム教徒の血を引く家系に生まれた。
パンタナウのNational High School(高校)で学ぶ。
ヤンゴン大学(ラングーン;現ヤンゴン)で歴史学を専攻。
卒業後、パンタナウの高校で教鞭をとる。
25歳の若さで校長に就任し、のちの首相ウー・ヌと親交を持つ。
'Thilawa'というペンネームで、フリー・ジャーナリストを経験、新聞・雑誌への寄稿、数冊の翻訳本を手がける。
官僚 1947年、ビルマ政府によりPress Directorに任命される。
1948年、ウー・ヌが独立後初の大統領に就任すると、ウ・タントをラングーンでの放送大臣(Director of Broadcasting)に任命された。

UThant [生]1909.1.22.ビルマ,パンタナウ[没]1974.11.25.ニューヨークビルマ(現ミャンマー)の教育者,政治家。ラングーン大学に入学したが,父の死で故郷に帰り,教師となった。第2次世界大戦中には教育関係の公職を歴任,戦後,ウー・ヌとアウン・サンにすすめられて政府機関に入り,1947年広報課に属した。57年8月ビルマの国連大使。61年11月国連暫定事務総長,62年11月第3代国連事務総長に任命された。西イリアン問題,キューバ・ミサイル危機,カシミール紛争,ベトナム戦争,中東戦争などの解決に尽力。ベトナム問題でアメリカの北爆停止を主とした調停案を提出した。インド政府から65年度ネルー賞受賞。71年12月末,事務総長を辞任。 (引用元 コトバンク)

「ウ・タント」と関連する人物(故人)