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ジョージ4世George IV

イギリス国王[イギリス]

1830年 6月26日 死去享年69歳

ジョージ4世 - ウィキペディアより引用

『ジョージ4世 (イギリス王)』より : ジョージ4世(George IV, George Augustus Frederick, 1762年8月12日 – 1830年6月26日)は、イギリス、ハノーヴァー朝の国王(在位:1820年1月29日 - 1830年6月26日)。
ハノーファー王国の国王ゲオルク4世(Georg IV.)でもあった。
父はジョージ3世、母はその妃シャーロット。
妃はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの次女キャロライン(ドイツ名カロリーネ)。
ニックネームはプリニー(Prinny)である。
ジョージ3世がポルフィリン症の再発で狂気に陥ったため、1811年から1820年までは摂政王太子(プリンス・リージェント)を務めた。
この時期の大きな出来事としてはナポレオン戦争での勝利がある。
ジョージ4世は強硬な君主として知られ、父ほどではないがしばしば政治に介入した(特にカトリック解放に関する問題など)。
当初は首相スペンサー・パーシヴァルと対立を繰り返したが、パーシヴァルが暗殺されると、その治世の大部分は、第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソンが首相として国政にあたった。

ジョージよんせいGeorgeIV [生]1762.8.12.ロンドン[没]1830.6.26.バークシャー,ウィンザーハノーバー朝第4代のイギリス王(在位1820~30)。ジョージ3世の長男。皇太子時代から放蕩と浪費の悪名高く,ホイッグ党の政治家と親交を結び,父王とは不和であった。1785年ひそかにカトリック教徒の婦人M.フィッツハーバートと結婚したが,2年後議会でこの結婚は否認された。その後もこの婦人と交渉を続けながら,莫大な負債を清算するために,父王の姪であるカロラインと95年結婚したが,まもなく別居。1820年にはカロラインとの離婚が政治問題化した。父王の精神錯乱のため,11~20年に摂政をつとめ,その時期から即位後にかけてトーリー党に好意をもち,あらゆる改革に反対した。しかし王の意に反して「カトリック教徒解放法」(29)も成立し,国王の権威は失墜した。 (引用元 コトバンク)