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木下杢太郎(きのしたもくたろう)

詩人、劇作家[日本]

1945年 10月15日 死去胃がん享年61歳

木下杢太郎 - ウィキペディアより引用

木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。
本名:太田正雄)は、皮膚科の医学者、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。
大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。
堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。
生涯 1885年(明治18年)、静岡県賀茂郡湯川村(現・伊東市湯川)に、父・惣五郎、母・いとの末子として生まれた。
兄に太田圓三。
動物学者の太田嘉四夫(北海道大学教授)は甥。
家業は「米惣」という雑貨問屋であった。
その生家は現在、木下杢太郎記念館として保存されている。
小学校は、東浦尋常小学校とそれが統合された伊東尋常高等小学校(現・伊東市立西小学校)とであった。
1898年(明治31年)、上京して獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)へ入った。
津田左右吉が歴史を教えた。
文芸雑誌を読み、絵画にも親しんだ。
文筆を習作し、同窓の長田秀雄と蒟蒻版の雑誌『渓流』を編んで回覧した。

きのしたもくたろう [生]1885.8.1.静岡,湯川[没]1945.10.15.東京詩人,劇作家,小説家,医学者。本名,太田正雄。1911年東京大学医学部卒業。在学中の07年与謝野鉄幹の新詩社に入り,その夏の九州旅行の結果,北原白秋と「パンの会」を結成(1908),09年の小説『荒布(あらめ)橋』,戯曲『南蛮寺門前』などで南蛮文学の領域を広げ,白秋と並ぶ耽美派の代表作家となった。大学卒業後『和泉屋染物店』(11)などで劇作家としての地位を固める一方,小説集『唐草表紙』(15)で異国情緒に内面性を深め,若くして印象派の巨匠と目されるにいたった。しかし医学者としての理性は白秋のような官能享楽への惑溺を許さず,16年南満医学堂皮膚科教授として満州奉天(現中国東北地方のシェンヤン〈瀋陽〉)に赴任するとともに詩人,作家としての生活をみずから閉じた。以後フランス留学を経て愛知医科大学(24),東北大学(26),東京大学(37)の教授を歴任。ほかに詩集『食後の唄』(19),『木下杢太郎詩集』(30)など。41年,真菌の研究で「太田=ランゲロン分類法」を発表,この世界的業績によりレジオン・ドヌール勲章を受けた。 (引用元 コトバンク)