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植芝盛平 氏(うえしばもりへい)

武道家、合気道創始者[日本]

1969年 4月26日 死去肝臓がん享年87歳

植芝盛平 - ウィキペディアより引用

植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家。
合気道の創始者。
合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。
和歌山県田辺の富裕な農家に生まれた。
大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。
身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。
太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。
終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。
合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道・空手道などに次ぐ国際的武道に育った。
盛平の功績は社会的に高く評価され、紫綬褒章、勲三等瑞宝章などを受賞した。
生涯 ※ 特に注記のない記述は、『植芝盛平伝』(「年譜」299-315頁)に基づく。

合気道開祖、合気会初代道主。1883年〜1969年。和歌山県出身。本名は植芝守高。 実子に植芝吉祥丸、有名な高弟に塩田剛三、藤平光一、富木謙治、齋藤守弘らが居る。 墓所は和歌山県田辺市の高山寺。同刹には南方熊楠の墓もある。*1 *1:高山寺 〔正面南山〕より。 (引用元 Hatena Keyword)