山形勲 氏(やまがたいさお)
俳優[日本]
1996年 6月28日 死去結核享年82歳
山形 勲(やまがた いさお、1915年〈大正4年〉7月25日 - 1996年〈平成8年〉6月28日)は、日本の俳優。
本名:塙 勲(はなわ いさお)。
来歴=
軽業師の父親(後述)の巡業先であったイギリス・ロンドンで生まれ、東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)で育つ。
1935年に日本俳優学校を卒業。
兵役を経て1936年に東宝劇団に入団した。
1942年、佐佐木隆、鈴木光枝、山村聡らと劇団文化座を結成。
同座の看板俳優として1953年まで在籍した。
退団の理由として、劇団の活動資金を稼ぐため、ラジオ・映画などに出演し続けた結果、舞台活動が疎かになったことにあるとされる。
1949年、『斬られの仙太』で映画に初出演した。
1953年、大映初の総天然色イーストマンカラー映画で第7回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した映画『地獄門』(衣笠貞之助監督)に京マチ子の夫役で準主演し、注目された。
のちに定着する悪役のイメージとは全く異なる善人を演じている(主演の長谷川一夫が悪役を演じている)。
しだいに悪役として注目され、その後は東映時代劇に多く出演、主に悪役として活躍するかたわら、テレビ時代劇では、『剣客商売』の秋山小兵衛役で主演。
また、『水戸黄門』では第1部から第18部まで柳沢吉保を演じ、はまり役と言われた。
現代劇では、映画『不毛地帯』(山本薩夫監督、1976年)で主人公を招き入れる商事会社社長役など、大学教授・会社重役・高級官僚な ……
山形勲さんが亡くなってから、28年と149日が経ちました。(10376日)