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ジョージ3世George III

イギリス国王[イギリス]

1820年 1月29日 死去享年83歳

ジョージ3世 - ウィキペディアより引用

『ジョージ3世 (イギリス王)』より : ジョージ3世(英語: George III, 1738年6月4日 – 1820年1月29日)は、イギリス・ハノーヴァー家第3代目のグレートブリテン王国国王兼アイルランド王国国王(即位:1760年10月25日 )であり、1801年1月1日に両国が合同して以降はグレートブリテン及びアイルランド連合王国国王。
またハノーファー選帝侯、1814年以後はハノーファー王ゲオルク3世 (Georg III)を兼ねた。
父はフレデリック・ルイス(ジョージ2世の長男)。
母はザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世の娘オーガスタ。
妃はメクレンブルク=シュトレリッツ公子カール・ルートヴィヒの娘シャーロット。
別名「農夫王」(Farmer King)、「農夫ジョージ」(Farmer George)。
天文学者のウィリアム・ハーシェル等を支持する。
アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、北アメリカの領土を失った。
自分の課した重税問題や身内のスキャンダルに苦悩した上に、1811年には認知症となり、以後ウィンザーで生活、長男の王太子ジョージ4世が摂政として政務を執った。

ジョージさんせいGeorgeIII [生]1738.6.4.ロンドン[没]1820.1.29.バークシャー,ウィンザー城ハノーバー朝第3代のイギリス王(在位1760~1820)。ジョージ2世の孫。イギリスで生れ教育を受けた最初のハノーバー朝国王として,前2代と異なり国王大権の回復を志した。そのために議員を買収して「国王の友」と称する一団を議会内に形成し,それまでホイッグ党政治家が行使してきた多数派工作をみずから踏襲して,直接国政を指導しようとした。その結果,ホイッグ党政治家たちは退けられ,ビュート(伯),F.ノースらのトーリー党政治家が登用されたが,ノース政権下にアメリカ独立戦争が勃発し,結局アメリカの独立を認めることになった。この時期に王の威信は低下したが,その後ピット(小)に国政(首相在任1783~1801,04~06)をゆだね,フランス革命期の内外の危機を乗切ることができたが,その間に内閣,首相の地位も確立するにいたった。1809年に王は失明し,11年には以前からその兆候のあった精神異常が決定的となって発狂し,皇太子(のちのジョージ4世)が王の死まで摂政をつとめた。 (引用元 コトバンク)