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リチャード2世Richard II

イングランド国王[イギリス]

(ユリウス暦) 1400年 2月14日 死去享年34歳

リチャード2世 - ウィキペディアより引用

『リチャード2世 (イングランド王)』より : リチャード2世(Richard II, 1367年1月6日 - 1400年2月14日)は、プランタジネット朝のイングランド王(在位:1377年6月22日 - 1399年9月29日)。
生涯 リチャード2世は、エドワード3世の長男エドワード黒太子とその妃ジョーン・オブ・ケントの間に次男としてボルドーにおいて誕生した。
兄エドワードが1372年に7歳で、続いて1376年に父が死去したためコーンウォール公に叙され、祖父エドワード3世の王太子に指名された。
1377年6月21日に祖父が死去すると10歳で王位を継承し、叔父のケンブリッジ伯エドマンド・オブ・ラングリーが摂政に立った。
1380年に新政権は百年戦争による膨大な戦費調達のため人頭税の導入を図るが、これは上層に軽く下層に重い税制であった。
1381年6月、増税に反対する下層階級の農民と労働者が、エセックスの煉瓦工ワット・タイラーに率いられて反乱を起すと、リチャード2世はワット・タイラーとの面会に応じた。

リチャードにせいRichardII [生]1367.1.6.ボルドー[没]1400.2.ヨークシャー,ポンティフラクト城イギリス,プランタジネット朝最後のイングランド王(在位1377~99)。エドワード3世の長男エドワード(黒太子)の子。父が早世したため,祖父の王位を継ぎ,神聖ローマ皇帝カルル4世の長女アンと結婚(82)。未成年時代は叔父のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの後見を受けたが,W.タイラーの一揆(81)の際は,みずから反乱の鎮定に努め,成年に達すると親政を宣言(89.5.3.)。アイルランド遠征(94~95)やフランスとの休戦(96)で威信を高め,フランス王女イザベルと再婚,1397年頃までに後見有力者を次第に駆逐し,専断の傾向をたどった。叔父ゴーントの死(99)後,ランカスター家の嗣子ヘンリー・ボリングブルック(のちのヘンリー4世)の資産を没収したため,フランスに追放されていたボリングブルックがイングランドに侵入,リチャードはアイルランド遠征から急ぎ帰国したが,すでに立場回復の見込みはなく,降伏(99),譲位した。その後ポンティフラクト城に送られ,原因不明の死をとげた。 (引用元 コトバンク)