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砂川捨丸 氏(すながわすてまる)

漫才師、「砂川捨丸・中村春代」[日本]

1971年 10月12日 死去享年82歳

砂川捨丸・中村春代(すながわ すてまる・なかむら はるよ)は大正、昭和の高度経済成長期にかけて活躍した日本の漫才コンビ。
出囃子 (お笑い) 出囃子は『岩見』。

1923年1月 コンビ結成。

: 明治後期の萬歳(まんざい)をパイオニア的な存在であり型を崩さず、ハリセンで春代が捨丸を叩くと言う形を取り入れていた。
その他にも串本節も取り入れ全国に広めた功績をもつ。

: 「え~、漫才の骨董品でございましてぇ」のやり取りで始まる。
捨丸は大正時代から紋付袴姿で鼓を持った愛嬌ととぼけたいでたちで高座を勤めを最後まで通し続けた(現存している写真では背広姿で鼓を持ったものもある)。

戦後、2人を座長としてミスワカサ・島ひろし等と共にアメリカ巡業に3ヶ月公演に渡る。
この時のエピソードとしてアメリカの空港の税関で調べられ、鼓や帯、袴など係員に質問されると捨丸は「ジャパン・チャーリー・チャップリン チャップリン」と答え、係員を納得させ税関をパスしたという。
これが元で捨丸は「和製チャップリン」の異名を持った。

漫才師。 1890年(明治23年)12月27日、生まれ。1971年(昭和46年)10月12日、死去。 「砂川捨丸・中村春代」で、大正・昭和にかけて活躍した。 しゃべくり漫才勃興後も、旧来の「万歳」の型を崩さず、中村春代の鼓相手に数え唄から色問答、なぞかけに都々逸等を舞台に掛け、晩年まで爆笑をとり続けた。 (引用元 Hatena Keyword)

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