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藤原義江 氏(ふじわらよしえ)

オペラ歌手声楽家[日本]

1976年 3月22日 死去享年79歳

藤原義江 - ウィキペディアより引用

藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月5日 - 1976年(昭和51年)3月22日)は、日本の男性オペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。
愛称は吾等のテナー(われら―)。
戦前から戦後にかけて活躍した世界的オペラ歌手であり、藤原歌劇団の創設者。
父親がスコットランド人で母親が日本人のハーフ(混血)。
大阪府生まれ。
生涯 流浪時代 1898年(明治31年)、山口県下関市で貿易商(ホーム・リンガー商会)を営んでいた28歳のスコットランド人、ネール・ブロディ・リードと、同地で活動していた23歳の琵琶芸者、坂田キクとの間に大阪で生まれた。
出生地・大阪は母キクの実家であったが、リードから手切れ金あるいは認知料の類を受け取ることもなかったキクは、その後、九州各地を転々とする。
義江が7歳程の時、現在の大分県杵築市の芸者置屋業、藤原徳三郎に認知してもらうことで「藤原」という姓を得、またはじめて日本国籍を得ることとなった。

1898-1976 オペラ歌手(テノール)。父は英国人。新国劇をへて戸山英次郎の名で浅草オペラにデビューした。イタリアに留学,欧米各国で演奏活動を行う。1934年藤原歌劇団を創設,日本のオペラ運動の推進に大きく貢献した。当時の有名な演奏家との交流も多くトスカニーニも藤原義江の演奏を聞いたと言う。 藤原歌劇団は、本格的な日本の歌劇団の草分け的な存在。日本で初めて本格的にオペラを上演し,以後のオペラ運動を主導してきた。藤原義江を中心に1934年に創設され,同年プッチーニのラ・ボエームで旗揚げした。1952年にはニューヨークでローゼンストックの指揮により蝶々夫人を上演し注目される。また、これは、日本の歌劇団初の海外公演となった。 (引用元 Hatena Keyword)