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島津保次郎(しまづやすじろう)

映画監督[日本]

1945年 9月18日 死去胃がん享年49歳

島津保次郎 - ウィキペディアより引用
島津 保次郎(しまづ やすじろう、1897年6月3日 - 1945年9月18日)は、大正・昭和期の映画監督。
松竹蒲田撮影所で蒲田調と呼ばれる小市民映画を多数製作し、松竹の代表的監督となった。
東京神田区駿河台(現・千代田区神田駿河台)に下駄用材商と老舗海産物商「甲州屋」を営む父・音次郎の次男として生まれる。
正則英語学校(現・正則学園高等学校)に入学するが、幼いころから極度の映画好きであった島津は学校をさぼって近くにあった映画館・錦輝館へ行って映画を見ていた。
当時から映画監督への道を志しており、逓信省の宣伝映画のシナリオ公募に入選した経験もある。
卒業後、実家の手伝いで、福島で下駄用桐材の切り出しに携わる。
しかし、松竹が映画事業に乗り出すことを知り、父の友人の紹介で小山内薫の門下生として、松竹キネマ蒲田撮影所に入社する。
1920年、小山内に従って松竹キネマ研究所に移る。
同研究所には牛原虚彦や伊藤大輔、村田実らも参加した。
翌1921年、研究所第1回作品の『路上の霊魂』で助監督と照明係(クレジット上では光線)を、第2回作品で牛原の監督デビュー作でもある『山暮るる』で助監督を務めた。