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アンソニー・マン 氏Anthony Mann

映画監督[アメリカ]

1967年 4月29日 死去心臓発作享年62歳

アンソニー・マン - ウィキペディアより引用

 Anthony Mann  アメリカの映画監督。  1906年6月30日、カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。本名エミール・アントン・ブンズマン。父母は共に教師。  舞台俳優を経て、プロダクション・マネージャー、ステージ・マネージャー、セット・デザイナーとしても活動。  1931年に最初の妻ミルドレッド・ケニョンと結婚。  1937年、デイヴィッド・O・セルズニックの下で『風と共に去りぬ』のニューヨークにおけるスクリーン・テストの監督を行う。  1939年にはセルズニックのもとを離れ、パラマウント社で助監督として3年間働く。その間、プレストン・スタージェス監督の『サリヴァンの旅』(1941)の助監督につく。  以前演出したブーシコー作『ニューヨークの町』のTV放映版(1939年8月31日放映)を演出。この生放送の5分間分の無声キネスコープ・フィルムはニューヨーク・TV&ラジオ博物館に所蔵されているが、TV番組の最も古い資料映像のひとつである。  1942年、アンソニー・マン名義で低予算犯罪劇『ドクター・ブロードウェイ』を監督。  1940年代末に撮影監督ジョン・オルトンと組んだ初期フィルム・ノワールは古典となっているが日本未公開。  日本では主に1950年代のジェイムズ・スチュアート西部劇や1960年の史劇超大作で知られる。  1957年にメキシコ人女優サリタ・モンティエルと再婚するが1963年に離婚、その後、元バレリーナのアンナと再婚した。  自身の製作で1966年末にベルリンで撮影の始まった『殺しのダンディ』を撮影中、数週間分の撮影予定を残し、心臓マヒで倒れ、1967年4月29日に亡くなった。 …… (引用元 Hatena Keyword)