細川ガラシャ(ほそかわがらしゃ)
細川忠興 正室[日本]
(明智光秀の三女、慶長5年7月17日没)
1600年 8月25日 死去刺殺享年38歳

細川 ガラシャ(伽羅奢、Gracia)(ほそかわ ガラシャ、永禄6年〈1563年〉 - 慶長5年7月17日〈1600年8月25日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。
明智光秀の娘で細川忠興の正室。
実名は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)。
法名は秀林院(しゅうりんいん)。
キリスト教徒(キリシタン)であり、ガラシャは洗礼名。
子に、忠隆・長(ちょう:前野景定正室)・興秋・忠利・多羅(たら:稲葉一通室)の三男二女がいる。
名称=
明智玉(子)が本名であるとされることもあるが、当時の日本では現代や古代と異なり統一的な戸籍が編成されないため、本名(=戸籍名)なる概念は存在しない(実名=諱とは異なる)。
また古代以来の実名呼称回避の習俗の中で、若い女性が実名を名乗る場面は極めて限定される。
特に○子型の諱は、当時の社会通念上女性が叙位・任官の時に対朝廷の名乗りとして使われるにすぎず(その場合は本姓との組み合わせになる)、出生名に使うことは無い。
名字(苗字、氏)+実名=本名という名前の枠組みは近代の産物に過ぎず、苗字+○子式の女性名が歴史上出現するのは江戸時代後期、本名(=戸籍名)としての公的地位を得るのは明治4年、出生名として一般化するのは明治中期以降である。
本人の署名は「た」の一字のほか、小侍従宛の手紙では「か」と署名したとおぼしき一通や、夫宛に「からしや」と明記した一通があることから、親しい間 ……
細川ガラシャが亡くなってから、425年と48日が経過しました。(155279日)