芸能人・経営者のおくやみ情報

三原脩 氏

プロ野球選手、監督[日本]

1984年 2月6日 死去心不全享年74歳

三原脩 - ウィキペディアより引用

三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、香川県仲多度郡神野村(現:同県同郡まんのう町)出身のプロ野球選手(内野手。
右投右打)・監督・球団経営者。
選手としては、1934年に発足した大日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍→読売ジャイアンツ)の契約第1号(日本初のプロ契約選手として紹介される場合 もあるが、1920年代に日本運動協会などが発足していたため、厳密には誤りである)。
監督としては、選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で数々の名勝負を演出し「三原魔術」と驚嘆を受け、「魔術師」「知将」の異名をとった。
日本プロ野球史上、日本野球連盟、2リーグ分立後のセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグ両リーグ加盟球団での日本選手権シリーズ(日本シリーズ)といった、3種類の優勝を経験した唯一の人物(セ・パ両リーグでの日本シリーズ優勝経験監督は、水原茂、広岡達朗がいる)。

みはらおさむ [生]1911.11.21.香川,満濃[没]1984.2.6.東京プロ野球選手,監督。早稲田大学在学中からスター選手として活躍。早慶戦でライバル水原茂投手の前でホームスチールを敢行し,「三原のホームスチール」として有名になった。1934年読売ジャイアンツ(巨人)の前身,大日本東京野球倶楽部のプロ野球選手契約第1号となる。第2次世界大戦後の1947年巨人の監督となるが,シベリア抑留から帰還した水原に監督の座を奪われ,1951年九州の西鉄ライオンズに移る。その後の三原の野球人生は打倒巨人のために存在するようなもので,1956年から3年間,水原率いる巨人と日本シリーズで戦い連続日本一に輝いた。1960年大洋ホエールズに移り,1年目で優勝に導く。選手の心理を巧みにつかみ,それをゲームに生かして勝利につなげることから「三原魔術」と呼ばれた。その後,近鉄バファローズ,ヤクルトアトムズの監督も務めた。リーグ優勝6回,日本シリーズ優勝4回。 (引用元 コトバンク)