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萬屋錦之介 氏

俳優歌舞伎役者[日本]

1997年 3月10日 死去肺炎享年66歳

萬屋錦之介 - ウィキペディアより引用

萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ、1932年(昭和7年)11月20日 - 1997年(平成9年)3月10日)は、中村 錦之助(なかむら きんのすけ)として歌舞伎役者、屋号は萬屋、定紋は桐蝶。
また映画・テレビの時代劇俳優。
映画・舞台制作会社中村プロダクション社長。
愛称は萬錦(よろきん)。
東映俳優労働組合委員長。
本名は小川 錦一(おがわ きんいち)。
歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優に転じて成功。
若い頃の芸名は歌舞伎名跡の中村錦之助。
1971年に小川家一門が播磨屋を抜けるかたちで「萬屋」の屋号を使いはじめてからは萬屋錦之介に改めた。
父は三代目中村時蔵、俳優の中村嘉葎雄は弟、五代目中村時蔵、二代目中村錦之助、二代目中村獅童はそれぞれ甥にあたる。
妻はいずれも女優の有馬稲子(初婚)、淡路恵子(再婚)、甲にしき(再々婚)。
長男で俳優の島英津夫と、芸能人ではない次男は淡路の連れ子。
実子は淡路との間に三男の小川晃廣(元俳優、1990年にバイク事故死)と四男の萬屋吉之亮(元俳優、2004年に窃盗罪・家宅侵入罪で実刑判決、2010年に自殺)。

よろずやきんのすけ [生]1932.11.20.東京[没]1997.3.10.千葉,柏映画俳優。本名小川錦一。歌舞伎俳優の3世中村時蔵の4男で1936年,中村錦之助の芸名で初舞台。54年新芸プロの『ひよどり草紙』に出演後,東映と契約。『笛吹童子』(1954),『紅孔雀』(54~55)などで人気を博し,59年ブルーリボン大衆賞を受賞。『宮本武蔵』5部作(61~65)や『武士道残酷物語』(63,ブルーリボン主演男優賞受賞)などにも主演。72年,芸名を萬屋錦之介と改名し,以降は『子連れ狼』(73~74)などテレビでも活躍した。 (引用元 コトバンク)