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坪内美子 氏(つぼうちよしこ)

女優[日本]

1985年 11月3日 死去享年71歳

坪内美子 - ウィキペディアより引用

坪内 美子(つぼうち よしこ、本名:山崎 登美子、1915年6月22日 - 1985年11月3日)は、昭和期の女優。
来歴・人物= 東京市小石川区白山御殿町(現・文京区白山)に生れる。
牛込高等女学校(現・豊島岡女子学園)卒業後、銀座の有名カフェの女給(源氏名・孔雀)をしているところをスカウトされ、1932年松竹蒲田撮影所に入社する。
1933年、野村芳亭監督の『涙の渡り鳥』で竹内良一の相手役に抜擢され、映画デビュー。
続く『島の娘』でも主演し、人気スターの仲間入りをする。
その後、島津保次郎監督の『春琴抄 お琴と佐助』、小津安二郎監督の『浮草物語』などの話題作に出演し、その美貌が人気を集めると共に、1935年には幹部に昇進し、名実共に、松竹の看板女優となる。
芸者、若奥様、気が強い役から、コミカルな役まで何でも器用にこなし、大船映画では助演にまわった。
戦後は、フリーになり、脇役に徹し、坪内美詠子と改名し、『太陽の季節』で長門裕之が演じた主人公の母を演じるなど多くの作品で活躍した。
また、人気テレビドラマ『事件記者』では飲み屋の女将を演じてお茶の間の人気を得た。
出演作品= 映画= 『一人息子』(1936年)飯田蝶子(左)と坪内美子(右) 涙の渡り鳥(1933年) 島の娘(1933年) 晴曇(1933年) 女人哀楽(1933年) 大学の若旦那(1933年) 大学の若旦那・武勇伝(1934年) 街の流れ鳥(1933年) 玄関番とお嬢さん(1934年) 処女よ嘆く勿れ(1934年) 婦系図(1934年) ……

坪内美子さんが亡くなってから、39年と24日が経ちました。(14269日)

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