芸能人・経営者のおくやみ情報

ディック・ミネ 氏

歌手俳優[日本]

1991年 6月10日 死去急性心不全享年84歳

ディック・ミネ - ウィキペディアより引用

ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は、徳島県徳島市出身の日本のジャズ・ブルース歌手、俳優。
訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(-こういち)と名乗った。
創成期のテイチクレコードの立役者で、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画に多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。
来歴・人物 戦前・演奏家からシンガー、アクター 東京帝国大学卒の厳格な教育者・三根円次郎を父に持ち、日光東照宮の宮司の娘を母に持つミネは、1908年(明治41年)10月5日、四国に生まれた。
幼少期から、音楽好きだった母親の所有していた西洋音楽のレコードに興味を持つ。
父親の転勤の影響で、新潟にも転居したこともあったが、上京後、立教大学に入学。
在学中から軟派の気風が加わり、次第にダンスホールなどでジャズに傾倒。
自らもバンドの一員となり、アルバイトで歌も歌っていた。
また、当時としては珍しいスチールギターの演奏が出来たため、レコード会社各社でアルバイト演奏を行い、ミス・コロムビアの歌う『十九の春』の伴奏なども務めた。

日本ジャズ草分けの一人。 明治41年10月5日生まれ〜平成3年6月10日没(1908年〜1991年)。徳島市出身。本名、三根徳一。立教大学商学部卒。学生時代は相撲部で活躍しながら、ジャズバンド「ハッピー・ナイン」を作る。 卒業後逓信省に入り、勤めながらスタジオ奏者を続ける。昭和9年「ダイナ」でデビュー、「黒い瞳」「人生の並木路」「夜霧のブルース」「旅姿三人男」などがヒット。レコードにした曲は1000曲を超える。 昭和54年から平成元年まで日本歌手協会長を務めた。プレイボーイぶりでも知られた。勲四等旭日小綬章受賞。 (引用元 Hatena Keyword)