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芦屋雁之助 氏(あしやがんのすけ)

俳優[日本]

2004年 4月7日 死去鬱血性心不全享年74歳

芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。
本名、西部 清(にしべ きよし)。
愛称は、雁ちゃん。
京都府京都市出身。
京都市立朱雀中学校卒業。
来歴・人物= 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。
清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。
その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
その後京都の京都新京極の富貴、大阪の戎橋松竹中心に活躍、「若手漫才の有望株」といわれ将来を嘱望されるが、3、4年間コンビで活動したところで、演劇評論家の武智鉄二の勧めで突然漫才をやめ、1954年、開場した「OSミュージックホール」に入り、座付作者の花登筐のコントを演じるようになる。
以来、花登にすすめられ、兄弟で喜劇役者に転身する。
1959年、花登が東宝から独立して結成した『劇団・笑いの王国』に大村崑らと参加。
劇団の主軸を支える。
同年3月にスタートした毎 ……

芦屋雁之助さんが亡くなってから、20年と230日が経ちました。(7535日)

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