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ヘンリー3世

イングランド国王[イギリス]

(ユリウス暦) 1272年 11月16日 死去享年66歳

ヘンリー3世 - ウィキペディアより引用

『ヘンリー3世 (イングランド王)』より : ヘンリー3世(Henry III, 1207年10月1日 - 1272年11月16日)は、プランタジネット朝のイングランド王(在位:1216年 - 1272年)。
ジョン王と王妃イザベラ・オブ・アングレームの子。
妃はプロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の娘エリナー・オブ・プロヴァンス。
諸侯たちの反乱の中で幼くして王位に就き、フランスの領土問題とマグナ・カルタに象徴される議会問題を解決しようとしたが、50年を超える長い治世において目立った成果を挙げることはできなかった。
非常に信心深く、エドワード懺悔王を好み、ウェストミンスター寺院を現在の姿に大改築したことで知られる。
生涯 幼少期 1216年に第一次バロン戦争においてフランス王太子ルイ(ルイ8世)にロンドンを占領されている中で父が亡くなったため、ウィリアム・マーシャルやヒューバート・ド・ブルースらの重臣が摂政となり、9歳で王位に就いた。

ヘンリーさんせいHenryIII [生]1207.10.1.ハンプシャー,ウィンチェスター[没]1272.11.16.ロンドンイギリス,プランタジネット朝のイングランド王(在位1216~72)。ジョン王の長男,母はアングレーム伯家のイザベラ,王妃はプロバンス伯家のエリナー。9歳で即位し,ウィリアム・マーシャル(ペンブルック〈伯〉)らの廷臣の補佐を得たが,20歳で親政。母や王妃の関係で,フランス人を宮廷で重用し,またローマ教皇に従属の姿勢をとったので,イングランド貴族の反感を招いた。特に次男エドマンドをシチリア王位につける策謀や,フランスで失った領地の回復を目指す派兵のために要した多額の増税と献納金が貴族,聖職者の不満をつのらせた。オックスフォード協約(58)などの譲歩を示したが,シモン・ド・モンフォールを中心とする貴族たちにより,バロン戦争が起り,勝利はしたものの政治の実権を失った。なお,その治世中に各州,各都市の代表2名を集めて開かれた大議会(65)は,モンフォールらが民心を得るために招集したものであるが,のちのイギリス下院の起源となった。 (引用元 コトバンク)