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ルイ16世Louis XVI

フランス国王[フランス]

(フランス革命で処刑される)

1793年 1月21日 死去処刑享年40歳

ルイ16世 - ウィキペディアより引用

『ルイ16世 (フランス王)』より : ルイ16世(フランス語: Louis XVI、1754年8月23日 - 1793年1月21日)は、ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。
ナバラ国王としてはルイス5世(バスク語: Luis V.a)。
ルイ15世の孫。
王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット。
在位中の1789年にフランス革命が起こり、1792年に王権が停止し、翌年処刑された。
フランス最後の絶対君主にしてフランス最初の立憲君主である。
1791年憲法に宣誓して以後は、称号は「フランス国王」ではなく「フランス人の王」となる。
生涯 誕生 1754年8月23日、父ルイ・フェルディナン王太子、母マリー=ジョゼフ・ド・サクス(ポーランド王(兼ザクセン選帝侯)アウグスト3世の娘)の三男ルイ・オーギュストとして誕生。

ルイじゅうろくせいLouisXVI [生]1754.8.23.ベルサイユ[没]1793.1.21.パリフランス王(在位1774~92)。フランス革命中,パリの革命広場(現コンコルド広場)でギロチンにかけられ処刑された国王として知られる。ルイ15世の孫,皇太子ルイの第3子。初めベリー公。1770年オーストリア皇女マリ・アントアネットと結婚。1774年即位後,まず高等法院の追放を解除し,深刻化した財政危機を打開するため開明派官僚A.テュルゴー,J.ネッケルを起用したが旧官僚の反対にあい挫折。1783年財務総監にC.カロンヌを起用,免税特権を廃止して課税の平等を実現しようとしたが,高等法院の激しい反対にあった。そこで1787年2月名士会を招集,一挙に財政改革を実現しようとしたが,高等法院の公然たる反抗(いわゆる「貴族の革命」)にあった。次いで1789年5月全国三部会を招集したが,議決方法をめぐり対立した第三身分代議員は国民議会の成立を決議し,7月その名称を憲法制定国民議会と改め,絶対王政に代わる立憲君主制の樹立を目指した。7月14日のバスティーユの攻撃に続く革命の進行のなかで,国王は第三身分との妥協を認めず,10月ベルサイユからパリに移されて民衆の直接の監視下におかれた。その後,議会と宮廷との間はミラボー伯の仲介で一応の安定を得たが,王は列強の援助を求めて1791年6月20日パリを脱出,国外逃亡をはかったが失敗(→バレンヌ逃亡事件)。1792年8月10日王権停止が決定され,さらに同1792年12月開かれた国王裁判で死刑が確定し,1793年1月処刑された。 (引用元 コトバンク)