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リチャード1世

イングランド国王[イギリス]

(獅子心王)

(ユリウス暦) 1199年 4月6日 死去享年43歳

リチャード1世 - ウィキペディアより引用

『リチャード1世 (イングランド王)』より : リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日)は、プランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド王(在位:1189年 - 1199年)。
ヘンリー2世の三男(第4子)。
母はアリエノール・ダキテーヌ。
妃はベレンガリア・オブ・ナヴァール(ナバラ王サンチョ6世の娘)。
生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた。
生涯 父、兄弟との争い 父ヘンリー2世には若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョンの4人の男子がいたが(長兄ウィリアムは夭折)、ヘンリー2世のジョンへの偏愛やフランス王の介入、さらに母アリエノールの息子たちへの助力もあり、フランス王、支配下諸侯を巻き込んだ父子兄弟間の争いが絶えなかった。

リチャードいっせいRichardI,theLion-Heart [生]1157.9.8.オックスフォード[没]1199.4.6.シャリュスイギリス,プランタジネット朝第2代のイングランド王(在位1189~99)。ヘンリー2世の第3子。その勇武,騎士的行為により「獅子心王」と称される。初めアキテーヌ公に叙せられたが,兄ヘンリーの死により王位相続者となった。フランス王フィリップ2世と結んで弟ジョンとともに父王ヘンリー2世に反乱を起し,その死とともに1189年イングランド王,ノルマンディー公,アンジュー伯となった。翌90年海路第3次十字軍に出発,フィリップ2世とともにキプロス島を征服,アッコンを占領,エルサレムに迫ったが,占領することができなかった。この間フィリップ2世,オーストリア公レオポルトと不和になり,エジプトのイスラム教国アイユーブ朝のサラディンと休戦を結び,ベネチア付近より陸路帰国の途中,ウィーンでレオポルトに捕えられ,のち神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引渡され,各地の城を転々と移された。94年15万マルクの巨額の身のしろ金を支払って帰国したが,わずか1ヵ月足らずでノルマンディーにおもむき,以後数年フィリップ2世と戦った。リモージュ付近で重傷を負って没した。その英雄的行為は騎士の典型とうたわれるが,十字軍,身のしろ金で多大の負担を国内に課したため,不満が高まり,次のジョン王時代の貴族の反乱の一因をつくった。 (引用元 コトバンク)