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エリザベス1世

イングランド女王[イギリス]

(ユリウス暦1603年3月24日死去)

1603年 4月3日 死去享年71歳

エリザベス1世 - ウィキペディアより引用

『エリザベス1世 (イングランド女王)』より : エリザベス1世(英: Elizabeth I、ユリウス暦1533年9月7日 - グレゴリオ暦1603年4月3日(ユリウス暦1602/3年3月24日))は、イングランドとアイルランドの女王(在位:1558年 - 1603年)。
テューダー朝第5代にして最後の君主。
国王ヘンリー8世の次女。
メアリー1世は異母姉。
エドワード6世は異母弟。
通称にザ・ヴァージン・クイーン(The Virgin Queen、意味「処女王」)、グロリアーナ(Gloriana、意味「栄光ある女人」)、グッド・クイーン・ベス(Good Queen Bess、意味「善き女王ベス」)。
ヘンリー8世の王女として生まれたが、2年半後に母アン・ブーリンが処刑されたため、庶子とされた。
弟のエドワード6世はジェーン・グレイへの王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としている。
続くカトリックのメアリー1世の治世ではエリザベスはプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されたものの、1558年にメアリー1世が死去すると王位を継承した。

エリザベスいっせいElizabethI [生]1533.9.7.グリニッジ宮殿[没]1603.3.24.リッチモンドイギリス,チューダー朝のイングランドおよびアイルランド女王(在位1558~1603)。ヘンリー8世と第2王妃アン・ブリンの王女として生まれ,一時王位継承権を剥奪されたが,異母姉メアリー1世の死後即位。中道的な宗教政策をとり,国王至上法,礼拝統一法を発して国教会制度(→アングリカン・チャーチ)を確立させるとともに,急進的な清教徒(→清教主義)と旧教徒を抑圧した。外交においては諸国間の対立に巻き込まれるのを警戒したが,オランダ,フランスの新教徒をひそかに援助し,またスペイン船略奪を奨励した。スペインとの開戦後は無敵艦隊(アルマダ)を撃滅(1588),国威を高めた。ウィリアム・セシル,フランシス・ウォルシンガムら有能な補佐役にも恵まれ,困難な問題の多かった社会情勢の変動によく対処した。晩年には独占権や言論の自由をめぐって議会と対立したが,問題をこじらせることはなかった。エリザベスは結婚しなかったため,その死とともにチューダー朝は終わり,彼女が処刑させたメアリー・スチュアートの子,ジェームズ1世がスチュアート朝を開いた。なおエリザベス治世にはウィリアム・シェークスピアらが出てイギリス・ルネサンス文学(→ルネサンス)の黄金時代でもあった。(→イギリス史) (引用元 コトバンク)