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本多猪四郎 氏

映画監督[日本]

1993年 2月28日 死去享年83歳

本多猪四郎 - ウィキペディアより引用

本多 猪四郎(ほんだ いしろう、1911年5月7日 - 1993年2月28日)は日本の映画監督。
山形県東田川郡朝日村(現・鶴岡市)出身。
数々の東宝特撮映画を撮った。
「いのしろう」とした書が多く出版されており、また本人もニックネームで「いのさん」「いのしろさん」などと呼ばれることが多かったが、正しい読みは「いしろう」。
亥年生まれの四男であったことから「猪四郎」と命名された。
その影響を受けた海外の文献でも"Ishiro"と"Inoshiro"が混在している。
湯殿村七五三掛、湯殿山注連寺一山、本多龍傳院(ほんだりゅうでんいん)住職である父・本多芳寛と母・本多みよの末っ子として生まれる。
3人の兄と姉がいる。
10歳の時に父親が東京都高井戸にある医王寺住職となる為上京し杉並区立高井戸小学校 に転校する。
その後神奈川県に引っ越し攻玉社中学校・高等学校に入学。
1931年に新設された日本大学芸術学部映画科の第1期生として入学。
22歳の時に同大学の講師である森岩雄の勧めで金曜会に入会。
1933年8月に卒業目前にPCL(東宝の前身)に入社し1934年に大学を卒業。

Ishiro Honda(1911-1993) 映画監督。 1911年5月7日、山形県生まれ。 1933年に映画界入りし、助監督時代に黒澤明と親交を深めるが、都合3回、約8年に渡る徴兵で中国戦線へ参加している。 監督デビューは1951年『青い真珠』。  その3年後、円谷英二と共に作り上げた『ゴジラ』がヒットを飛ばす。 以降、映画界黄金期の東宝特撮作品のほとんどでメガホンを取り続け、70年代の映画斜陽期には『帰ってきたウルトラマン』等の特撮TV作品も担当する。 1980年代は旧友・黒澤明の演出補佐として活躍。1993年2月28日、永眠。享年81歳。 遺作は1975年『メカゴジラの逆襲』。 (引用元 Hatena Keyword)