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古川ロッパ 氏

コメディアン[日本]

1961年 1月16日 死去享年59歳

古川ロッパ - ウィキペディアより引用

『古川緑波』より : 古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波とも、1903年(明治36年)8月13日 - 1961年(昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。
編集者、エッセイストとしても活動した。
本名は古川 郁郎(ふるかわ いくろう)。
生涯 生い立ち 古川ロッパは元東京帝国大学総長加藤弘之男爵の長男にあたる加藤照麿男爵の六男として東京市麹町区に生まれた。
生後間もなく嫡男以外は養子に出すという家訓により、義理の叔父(父の妹の婿)で満鉄役員の古川武太郎(元陸軍中将の古川宣誉の長男)の養子となる。
幼少期より文才に優れ、のちに芸名として用いた「緑波」の号は尋常小学校三年生の頃に自らつけた筆名で、尊敬する文学者巌谷小波に因む。
始め読み方は「リョクハ」だった。
芸能界入り後は舞台活動では「ロッパ」、文筆活動では「緑波」と使い分けた。
) 1911年、福岡県門司に転居し、1916年旧制小倉中学校に入学。
1917年東京に戻り旧制早稲田中学校に転校。
在学中1918年に映画雑誌『映画世界』を発行、映画評論を執筆して早熟ぶりを発揮する。

古川ロッパ=古川緑波(1903-1961) 戦前・戦中を中心に舞台、音楽、映画、漫談、物マネ(声帯模写)等多岐にわたって活躍した昭和の代表的なコメディアン。 1903年(明治36年)8月13日生まれ。 1926年、徳川夢声らと「ナヤマシ会」を結成。 1933年、浅草で劇団「笑いの王国」を旗揚げ。エノケンとは対照的な静的な芸風で一世を風靡、コミック・ソングも数多くヒット。 1935年、東京丸の内に進出し、「古川ロッパ一座」を結成。戦中も、舞台、映画、慰問公演等をこなし、戦前の名声を維持。戦後は、ラジオ出演等でその人気を維持したものの、戦前の輝きはみられず、持病の糖尿に苦しんだ。 1961年(昭和36年)1月16日、病没。 著作に「劇書ノート」「悲食記」「あちゃらか人生」「古川ロッパ昭和日記」(全4巻)。CDに『古川ロッパ傑作集』 (引用元 Hatena Keyword)