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荻原碌山

彫刻家、本名・守衛[日本]

1910年 4月22日 死去享年32歳

荻原碌山 - ウィキペディアより引用
荻原碌山(おぎわら ろくざん、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日)は、明治期の彫刻家。
本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号である。
年譜 1879年(明治12年)長野県南安曇郡東穂高村に5人兄弟の末っ子として生まれる。
1896年(明治29年)頃相馬黒光と出会う。
1901年 (明治34年)より渡米、西洋画を学ぶ。
1904年 (明治37年)パリでオーギュスト・ロダンの「考える人」を見て彫刻を志す。
1906年 (明治39年)渡仏。
アカデミー・ジュリアンの彫刻部に入学。
1907年 (明治40年)ロダンに面会。
「女の胴」「坑夫」などを制作。
1908年(明治41年)帰国。
新宿にて彫刻家として活動を始める。
「文覚」第二回文展で入選。
1909年 (明治42年)「デスペア」。
第三回文展に「北条虎吉像」「労働者」を出品。
1910年 (明治43年)「母と病める子」「女」制作。
4月22日急逝。
第四回文展にて「女」文部省が買上げ。
少年時代 守衛は幼い頃から病弱で、大好きな読書をしたり、絵を描いて過ごしていた。

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