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中川信夫 氏

映画監督[日本]

1984年 6月17日 死去心不全享年80歳

中川信夫 - ウィキペディアより引用

中川信夫(なかがわ のぶお、1905年4月18日 - 1984年(昭和59年)6月17日)は、日本の映画監督。
怪談映画の名手として知られる。

1905年(明治38年)4月18日、京都府京都市に生まれる。

兵庫県の旧制・育英商業学校(現在の育英高等学校)を卒業した。

キネマ旬報読者寄書欄の素人映画評論家小津安二郎作品の詳細なショットの解説を細かく書いた評論などもあった。
- 『「映画評論」の時代』、著佐藤忠男、編著岸川真、カタログハウス、2003年 ISBN 4905943523、P.16.、マキノ・プロダクションの助監督を経て、1934年(昭和9年)に市川右太衛門が主宰する市川右太衛門プロダクション(右太プロ)で監督デビュー。
デビュー作『弓矢八幡剣』は、マキノ倒産により右太プロへの移籍を申し出た中川が、同プロダクションの入社試験として監督したものである。
実質的なデビュー作は1935年(昭和10年)の『東海の顔役』。
山上伊太郎、伊丹万作、小津安二郎らに強い影響を受ける。

映画監督/1905年〜1984年 1929年マキノプロ入社。マキノ正博(雅広)の助監督を務める。 1934年、市川右太衛門プロ第二部の『弓矢八幡剣』で監督デビュー。 マキノ・トーキー、東宝京都撮影所、中華電影を経て、戦後は新東宝を中心に活動。『東海道四谷怪談』(1959)、『地獄』(1960)を頂点とする傑作群を生み出し、「怪談映画の巨匠」として海外のファンにもその名を知られる。 新東宝倒産後は、『プレイガール』や『怪談シリーズ』などテレビ映画で活躍するが、1982年にATGの1,000万円映画『怪異談・生きてゐる小平次』を監督し、77歳で初めてキネマ旬報ベストテン10位に入選した。 (引用元 Hatena Keyword)