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白瀬矗

探検家、陸軍中尉[日本]

1946年 9月4日 死去享年86歳

白瀬矗 - ウィキペディアより引用

白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。
最終階級は陸軍輜重兵中尉。
幼名は知教(ちきょう)。
生涯 出生と陸軍入隊 文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。
浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれた。
南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代の彼は非常にわんぱくで、「狐の尻尾を折る」「狼退治」「千石船を素潜りで潜ろうとして死にかける」「150人と血闘」などを行ったと列挙している。
8歳(数え年だと9歳)の頃に、平田篤胤の高弟ともいわれる医師で蘭学者(漢学者とも)の佐々木節斎の寺子屋に入る。
佐々木は寺子屋で読み書きソロバンや四書五経を教え、その他にもコロンブスやマゼランの地理探検、そしてジョン・フランクリン隊の遭難(フランクリン遠征)などの話を聞かせた。

しらせのぶ [生]文久1(1861).6.13.秋田[没]1946.9.4.愛知日本の探検家。陸軍中尉。1893年に千島列島の探検を行い,さらに千島列島から北極に到達することを計画したが果せなかった。その後,南極探検に転換。1910年11月日本を出発して南極大陸に向ったが,冬季のためオーストラリアのシドニーに引返して待機。12月1日に再出発,開南湾に到達した。その後,南緯80°5′,西経156°37′の地点に達し,探検家の名簿と記念の銅柱を雪中に埋め,その付近を「大和雪原」と命名した。この事業は当時の日本の画期的な壮挙として内外に知られた。 (引用元 コトバンク)