青柳高鞆(あおやぎたかとも)
国学者、神道家[日本]
1892年 10月8日 死去享年53歳
天保11年1月10日生まれ。平田国学の影響を受けた。京都で、足利将軍家木像梟首事件に加わり捕縛される。維新後は、鹿島神宮 少宮司などを務め、明治10年より「やまと叢誌」を刊行。明治25年10月8日死去。53歳。下総国香取郡出身。名は別に、義尊・義貫。通称は、健之介または建之助。号は鼎斎。著作に「精神一注」など。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
関連作品
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タイトル 江戸文人辞典: 国学者・漢学者・洋学者
種別 単行本著者 出版社 東京堂出版ページ数 発売日 新品価格 ¥4,200中古商品 ¥4,200より
青柳高鞆が亡くなってから、131年と207日が経過しました。(48055日)