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古賀フミ 氏(こがふみ)

染織家[日本]

(人間国宝)

2015年 6月7日 死去大腸がん享年89歳

1927(昭和2)年2月3日佐賀市に生まれる。幼いころから曾祖母、母に佐賀錦の手ほどきを受ける。佐賀錦は和紙を裁って経紙とし、絹を緯糸にした肥前鹿島藩で創始された織物である。江戸時代後期、佐賀錦は御殿に務める女性の嗜みであり、廃藩置県後も制作が続けられた。大正時代に入ると、大隈重信によって広められ、旧華族のあいだで愛好会が結成された。古賀フミの曾祖母は肥前国の竜造家の家老村田家の家臣であり、御殿で佐賀錦の技術を習得したという。曾祖母から母へ、そして古賀フミへ伝授されたものには、平織だけでなく、綾組織も含まれ、古典模様だけでも200種以上に及んだ。古賀家の評判を聞きつけ、民芸運動の柳宗悦や、重要無形文化財保持者の森口華弘らとも交流が生まれる。その後、森口の勧めもあり、66年に第13回日本伝統工芸展に出品し入選。同年、東京に移住する。67年には日本伝統工芸染織展、日本伝統工芸新作展にも出品を始める。同年、第4回日本伝統工芸染織展に出品した佐賀錦ハンドバックにて東京都教育委員会賞を受賞。本作品は上野公園に落ちていた道端の小さな花から着想を得たという。69年には、第6回日本伝統工芸染織展にて佐賀錦網代文笛袋「暁光」が日本工芸会賞、第16回日本伝統工芸展にて佐賀錦紗綾形文帯「七夕」が日本工芸会総裁賞を受賞。日本工芸会正会員となる。佐賀錦は経紙に用いる紙の大きさに制限を持つため袋などの小物が制作の中心であったが、古賀は森口華弘の励ましもあり帯にも着手する。日本工芸展での受賞はその成果の顕れといえる。3年以降は、日本伝統工芸新作展や日本伝統工芸染織展の鑑審査委員を歴任。82年には、第19回日本伝統工芸染織展に出品した佐賀錦網代地籠目文笛袋「瑞光」にて日本工芸会賞、第29回日本伝統工芸展に出品した佐賀錦菱襷文帯「玻璃光」にて日本工芸会長賞を受賞。88年には紫綬褒章を受章。1993(平成5)年には福島県立美術館現代の染織展に出品。94年には重要無形文化財保持者「佐賀錦」に認定される。同年、日本橋三越特選画廊にて「佐賀錦古賀フミ自選展」を開催。98年には勲四等宝冠章を受章。古賀の制作は、曾祖母が残した懐紙入れなどの作品、母が80歳を超えてから織ったという200種以上の織見本、母が織った作品の図案を父が筆で描き起こした模様図案に囲まれながら行われた。素材の和紙や染料などにも探求を深め、染めは植物染料で自ら手がけるようになったという。また、制作に用いる竹箆と網針は主君の西山松之助により作られたものである。作品は東京国立近代美術館、東京国立博物館等に所蔵されている。(引用元・日本美術年鑑 平成28年版)

古賀フミさんが亡くなってから、8年と295日が経ちました。(3217日)