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村岡花子 氏

翻訳家[日本]

1968年 10月25日 死去脳血栓享年76歳

村岡花子 - ウィキペディアより引用

村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 - 1968年〈昭和43年〉10月25日)は日本の翻訳家・児童文学者。
児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。
基督教文筆家協会(現日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長(在任、1952年〈昭和27年〉6月 - 1958年〈昭和33年〉10月)。
生い立ち 山梨県甲府市の安中逸平・てつ夫妻の長女として生まれる。
本名は村岡 はな(むらおか はな)、旧姓:安中(あんなか)。
クリスチャンである父の希望により、2歳でカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受ける。
父の逸平は駿府(現静岡市)の小さな茶商の家に生まれ、茶の行商中にカナダ・メソジスト派教会に出入りするようになり、熱心なクリスチャンとなる。
布教の流れで甲府に移り住み、そこで出会ったてつと結婚してその実家に住むようになる。
教会での交流で新しい文化の影響を受けた逸平は、利発な長女のはなに過剰なほどの期待をかけた。

日本の翻訳家・児童文学者。本名は村岡はなで、旧姓は安中(あんなか)。1893年、山梨県甲府市生まれ。 「赤毛のアン」を含む多くのモンゴメリの著作を始め、児童向け・家庭向けの文学作品や絵本を多数翻訳し、日本に紹介した。 父・逸平は熱心なクリスチャンで、社会主義運動家。逸平の希望で、2歳の時カナダ・メソジスト派の幼児洗礼を受ける。女4人、男4人の兄弟の長女。 家庭は貧しかったが、逸平は花子の利発さを認め、華族や富豪の娘が多く学ぶ東京・麻布のカナダ系ミッションスクール、東洋英和女学校に編入学させるため奔走。1903年、予科1年生に給費生(国・学校・団体などから費用、特に学費を支給される奨学生)として編入を許される。厳しい英語教育と生活指導を受けるなか、08年、東洋英和の寄宿舎に、8歳年上の柳原燁子(後に歌人・白蓮)が編入。互いに「花ちゃん」「燁さま」と呼び合う親友となった。 09年、燁子の紹介で、歌人・佐佐木信綱が主宰する短歌結社竹柏会に入門する。短歌の創作や日本の古典文学を学び、また生涯にわたる友人となる歌人でアイルランド文学の翻訳家・片山廣子と出会う。13年に東洋英和女学院を卒業し、翌年、山梨英和女学校へ英語教師として赴任。この頃、少女向け文芸雑誌「少女画報」に童話や小説を寄稿。 17年には、日本基督教興文協会から初めての本「爐邉(ろへん)」を出版。19年、教師を辞め、東京・築地の日本基督教興文協会に勤め、翻訳と編集に携わる。訳書「モーセが修学せし國」を出版し、印刷を担当した福音印刷の支社長でクリスチャンの村岡●(にんべんに敬)三(けいぞう)と恋に落ち、結婚。 …… (引用元 コトバンク)