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鈴木其一(すずききいつ)

絵師[日本]

(安政5年9月10日没)

1858年 10月16日 死去享年63歳

鈴木其一 - ウィキペディアより引用

鈴木 其一(すずき きいつ、男性、寛政8年(1796年)4月 - 安政5年9月10日(1858年10月16日))は、江戸時代後期の絵師。
江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、その最も著名な事実上の後継者である。
もと姓は山本。
通称、為三郎、諱は元長、字は子淵。
其一は号で、別号に薈々、菁々、必庵、錫雲、祝琳、為三堂、鶯巣、元阿など。
近代に通じる都会的洗練化と理知的な装飾性が際立ち、近代日本画の先駆的な絵師だと位置づけられる。
伝記 生い立ち 江戸中橋(現在のブリヂストン美術館周辺)で、近江出身の紫染めを創始したと言われる紺屋の息子として生まれる(中野其明編『増補尾形略流印譜』)。
後の其一の豊かな色彩感覚は、紺屋という出自によるものだと考えられる。
子供の頃から抱一に弟子入りし、文化10年(1813年)18歳で内弟子になっている。
文化14年(1817年)酒井家の家臣で抱一の付き人を勤め、其一にとっては兄弟子であった鈴木蠣潭(れいたん、通称・藤兵衛)が狂犬病で急死してしまい、抱一の取り持ちで、其一は蠣潭の姉りよと結婚し婿養子として鈴木家の家督を継いだ。

すずききいつ [生]寛政8(1796)[没]安政5(1858).江戸江戸時代後期の画家。通称は為三郎,号は噌々,菁々。若くして酒井抱一の内弟子となり,のち酒井家の家臣鈴木蠣潭の養子となって抱一に仕え,門下の逸材として絵の助手をつとめた。その作風や技法は抱一の影響が大きく,なかには師をこえていかにも明治期を予測するような新しい感覚を示す作品もみられる。主要作品『梅に椿図屏風』(ホノルル美術館),『花木図屏風』(根津美術館)。 (引用元 コトバンク)

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