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円地文子 氏

作家[日本]

1986年 11月12日 死去急性心不全享年81歳

円地文子 - ウィキペディアより引用

円地 文子(えんち ふみこ、1905年(明治38年)10月2日 - 1986年(昭和61年)11月14日)は、日本の小説家。
本名は圓地 富美(えんち ふみ)。
来歴・人物 東京府東京市浅草区向柳原(現在の東京都台東区浅草橋)出身。
日本女子大学付属高等女学校(現在の日本女子大学附属高等学校)4年次中退。
東京大学国語学教授上田萬年の次女。
夫は『東京日日新聞』の記者だった円地与志松。
当時世間的には与志松のほうが有名だった。
一人娘に素子がいる。
幼少時より病弱で、「病気の問屋」の異名をとったこともあった。
学校も欠席しがちだったことから中退し、その後は父などから個人教授を受け、戯曲及び古典日本文学に深い関心を持つようになった。
はじめ劇作家として小山内薫の薫陶を受けたが、処女作上演の記念パーティーの席上でその小山内が倒れて死去している。
デビュー作の成功の後劇作家としての成功を収めるが、その後また数々の病気に見舞われる。
小説家としては、当初評価されず苦労した。
代表作『女坂』は戦時中に刊行されているが、戦後は少女小説、通俗小説などを生活のために多く書き、1960年代からようやく評価されるようになる。

えんちふみこ [生]1905.10.2.東京[没]1986.11.14.東京小説家,劇作家。本名,富美。日本女子大学付属高等女学校中退。国語学者上田万年(かずとし)の次女として生れ,幼時から古典に親しみ,ことに江戸時代後期の退廃的な耽美文芸の影響を受けた。1930年結婚。26年戯曲『ふるさと』が雑誌『歌舞伎』の懸賞に当選,女流劇作家として活動を始めたが,のち小説に転じ,「家」や夫のために忍従の生涯を強いられた女の怨念と悲しみを描いた『女坂』(1949~57),『ひもじい月日』(53),自伝的長編『朱(あけ)を奪ふもの』(60),『傷ある翼』(60),古典的教養を駆使して「憑霊(つきりょう)」の女を独創した『なまみこ物語』(59~61)などの作品で数々の文学賞を受けた。70年芸術院会員。67~73年『円地文子訳源氏物語』を完成。79年文化功労者。85年文化勲章受章。 (引用元 コトバンク)