芸能人・経営者のおくやみ情報

岸駒(がんく)

絵師[日本]

(天保9年12月5日没)

1839年 1月19日 死去享年歳

岸駒 - ウィキペディアより引用

岸駒(がんく、宝暦6年(1756年)(寛延2年(1749年)説あり) - 天保9年12月5日 (旧暦) 12月5日(1839年1月19日))は、江戸時代の画家。
幼名は乙次郎。
字は賁然。
同功館・可観堂などと号 (称号) 号す。
岸派(きしは)の祖。
加賀国金沢(現、石川県金沢市)出身。

実子に岸岱、養子に岸良・岸連山がある。

母は越中国富山市 東岩瀬の高岡屋きよという。
きよは宝暦6年、金沢の仕立屋豊右衛門と再婚し、岸駒もこの地で育つ。
金沢時代は、矢田四如軒あるいは森蘭斎に絵を習ったと伝わるが確証はない。
しかし、宝暦13年(1763年)頃、狩野花信と称し絵を描くと伝わり、安永4年(1775年)の時、名を岸矩、号を蘭斎と改める。
安永8年(1779年)上洛し、通称を健亮と改め、翌年斉藤氏の娘菊と結婚。
天明4年(1784年)有栖川宮家御学問所の障壁画を描き、同宮家の近侍となり、翌年、宮家より駒の名、賁然の字、華陽の号を賜る。
沈南蘋#南蘋派 沈南蘋派、円山・四条派 円山派などを学び、これらを折衷し、主に京都で装飾的で筆法の鋭い障壁画などを描く。
文化5年(1805年)にそれまでの雅楽助から越前助に、天保8年(1837年)には従五位下越前守に任ぜられる。

がんく [生]寛延2(1749)/宝暦6(1756).金沢[没]天保9(1838).12.5.京都江戸時代後期の画家。岸派の祖。加賀金沢の商家に出生。本姓は佐伯,のち岸,名は矩(のり),のち駒。字は賁然。号は蘭斎ほか。幼少より画事を好み上洛。寛政2(1790)年禁裡造営の際,円山応挙らと障壁画の御用をつとめ,のち朝廷に仕え,文化6(1809)年息子の岱(たい)と金沢城の障壁画を描く。晩年は洛北岩倉に天開窟を構えて隠棲。天保7(36)年長年の功により蔵人所衆,従五位下。特定の師はなく,狩野派,南蘋派,四条派を独習。筆法の鋭い写実的描写によって,トラ,クジャクなどの動物画にすぐれる。長男の岱,養子の良,義子の連山,望月玉川,白井華陽など門人が多く,四条派に対抗して岸派を形成。主要作品『自画像』,『猛虎図』(前田育徳会),『孔雀図』。 (引用元 コトバンク)