芸能人・経営者のおくやみ情報

片山潜(かたやません)

社会主義活動家[日本]

1933年 11月5日 死去敗血症享年75歳

片山潜 - ウィキペディアより引用

片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。
号は深甫。
生涯 美作国久米南条郡羽出木村(後の弓削町、現在の岡山県久米郡久米南町羽出木)に庄屋藪木家の次男として生まれる。
幼名は菅太郎(すがたろう)。
1877年(明治10年)10月、神目村(現在の久米南町神目中)の親戚・片山幾太郎の養子となる。
この養子縁組は兵役忌避が目的だったと言われている。
1880年(明治13年)に岡山師範学校(現在の岡山大学教育学部)に入学するが、翌1881年(明治14年)に退学して上京。
攻玉社にて塾僕として勤務し、1884年(明治17年)、友人岩崎清七の勧めに応じてアメリカ合衆国へ渡る。
サンフランシスコ郊外サンラフェールという村の小さな家塾で皿洗いをして働く。
その後、サンフランシスコ下町の大工の家、ポノマの宿屋、アラメダの家庭にコックをして住み込む。
アラメダで中国人のキリスト教会に通い英語とキリスト教を学ぶ。

かたやません [生]安政6(1859).12.3.岡山[没]1933.11.5.モスクワ日本における労働運動の先駆者,社会主義者。旧姓藪木。1884年渡米,苦学してエール大学を卒業した。この間キリスト教に入信し,キリスト教社会主義の影響を受けて労働・社会問題に興味をもった。95年帰国,ただちに職工義友会に参加。労働組合期成会結成時には幹事として活躍した。1904年アムステルダムでの第2回国際社会主義者大会(第2インター)では,G.プレハーノフとともに副議長となり,軍国主義打倒の演説を行なった。07年『社会新聞』を発刊。議会主義,普通選挙運動を主張し,幸徳秋水らの急進論と対立した。10年の大逆事件後,11~12年東京市電争議を指導,投獄され,出獄後14年弾圧を避けて渡米,22年ソ連に渡り,コミンテルンの執行委員となった。以後国際プロレタリア運動に大きな役割を果し,ソ連は国葬によって生前の功に報いた。主著『日本の労働運動』(1901),『我社会主義』(03),『自伝』(22)。 (引用元 コトバンク)