芸能人・経営者のおくやみ情報

鄧小平 氏Deng Xiaoping

政治家[中国]

1997年 2月19日 死去享年94歳

鄧小平 - ウィキペディアより引用

『トウ小平』より : 鄧 小平(とう しょうへい、中国語読み:ドン シャオピン 、IPA:[tɤŋ ɕjɑʊ pʰiŋ]、1904年8月22日 - 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。
中華人民共和国を建国した毛沢東の死後、その後継者である華国鋒から実権を奪い、事実上の中華人民共和国の最高指導者となる。
毛沢東が発動した文化大革命によって疲弊した中華人民共和国の再建に取り組み、「改革開放」政策を推進して社会主義経済の下に市場経済の導入を図るなど、同国の現代化建設の礎を築いた。
生涯 1904年、四川省広安県の裕福な客家系地主の家庭に生まれる。
初め鄧先聖と名づけられ、幼時には鄧希賢の名も用いる。
1920年、16歳のときにフランスに留学する。
第一次世界大戦後の労働力不足に応じた「勤工倹学」という形の苦学生であった。
ちなみに鄧小平は16歳で故郷を出た後、死ぬまで一度も帰郷することはなかった。
フランス留学時代 鄧が留学した時代、フランスは第一次世界大戦直後の不景気だったため、パリから遠く離れた市立中等校に入学して節約に励むが、生活費を稼ぐため半年で学校を辞めてしまう。

とうしょうへいDengXiao-ping [生]光緒30(1904).8.22.四川,広安[没]1997.2.19.北京中国の政治家。中国共産党の指導者の一人。フランス留学中に中国共産党に入党。帰国後,革命運動,長征に参加し,日中戦争中は八路軍第129師政治委員,党革命軍事委員会総政治部主任で,1945年党中央委員となった。第2次世界大戦後の内戦期には中原解放軍(のち第2野戦軍)の政治委員。50年党中央南局第一書記,西南軍政委員会副主席となり,52年政務院副総理,53~54年財政部長,54年党中央委員会秘書長。56年党総書記となったが,文化大革命で劉少奇とともに批判されて失脚。73年副総理として復活し,74年政治局委員,75年1月の10期二中全会で党副主席に就任したが,江青らの四人組から「資本主義復活をたくらむ党内最大の走資派」であると攻撃され,76年4月の党政治局決議により党内外の職務を解任された。77年7月の10期三中全会で党副主席,副総理,党中央軍事委員会副主席,軍総参謀長に復帰。78年第5期全国人民代表大会で第一副総理,第5期政治協商会議全国委員会主席。81年11期六中全会で党副主席,党中央軍事委員会主席。83年国家軍事委員会主席。中国の最高実力者となり,経済改革を進めたが,89年6月に起った「天安門事件」などの民主化要求には弾圧策をとった。同年11月党中央軍事委員会主席を辞任したが,事実上の最高実力者の地位を維持した。 (引用元 コトバンク)