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スカルノ 氏

軍人、政治家、初代大統領[インドネシア]

1970年 6月21日 死去享年69歳

スカルノ - ウィキペディアより引用

スカルノ(Sukarno、旧正書法ではSoekarno、1901年6月6日 - 1970年6月21日)は、インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家である。
Sukarnoでフルネーム。
独立宣言後、同国の初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した。
1965年の「9月30日事件」によって失脚した後は不遇の晩年を送ったが、いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続けており、現在再び紙幣(最高額面の10万ルピア)に肖像が使われている。
生い立ち オランダが長年植民地として支配していたジャワ島東部の都市スラバヤ生まれ。
父はジャワの下級貴族の出身で小学校教師、母はバリ人貴族の出身でヒンドゥー教徒だった。
名前の「スカルノ」は、ジャワのワヤン劇(インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』に基づいている)に登場する武芸の達人「カルノ karno」(ガウォンゴ国王スルヨプトロ)に由来。

Soekarno;Sukarno [生]1901.6.6.スラバヤ[没]1970.6.21.ジャカルタインドネシア建国の父と呼ばれる政治家。1925年バンドン工科大学卒業後,ただちに独立運動の中核としてインドネシア国民党を結成。オランダの弾圧に抵抗,29年逮捕された。33年再び逮捕され,42年まで流刑。インドネシアを占領した日本軍に釈放され,45年独立を宣言,49年オランダにも認めさせた。その後,西イリアン解放闘争,マレーシア対決を通じて反植民地闘争の先頭に立ち,特に55年4月のバンドン会議を主宰してインドネシアの地位を高めた。1960年代に入ると左傾化し,経済的混乱に対処することができなかったことと相まって反対勢力を刺激し,65年の九・三〇事件後,台頭した軍部右派勢力により,67年3月大統領の全権限を奪われた。提唱した「指導される民主主義」,「ナサコム体制」は,新興独立国の政治理念として関心を集めた。 (引用元 コトバンク)