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後光厳天皇(ごこうごんてんのう)

北朝第4代天皇[日本]

(応安7年1月29日崩御)

(ユリウス暦) 1374年 3月12日 死去

後光厳天皇 - ウィキペディアより引用

後光厳天皇(ごこうごんてんのう、旧字体:後光嚴天皇、1338年3月23日〈建武5年3月2日〉- 1374年3月12日〈応安7年1月29日〉)は、日本の北朝第4代天皇(在位:1352年9月25日〈観応3年8月17日〉- 1371年4月9日〈応安4年3月23日〉)。
諱は弥仁(いやひと、旧字体:彌仁)。
光厳天皇の第二皇子、もしくは第三皇子。
母は正親町三条公秀の女の正親町三条秀子(陽禄門院)。
正平一統で北朝が一時的に消滅した後、急遽、三種の神器も太上天皇の詔宣も無くして践祚。
在位中、南朝に三度も京都を追われた。
室町幕府第3代将軍足利義満の名付け親にあたる。

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